八月に行動し、考えること


八月の平和行事

「平和のための戦争資料展」11日に行きました。毎年工夫した展示がされていますが、今年注目したものは、1人の戦争加害者の経歴を追って、写真の展示があったことです。少年が右翼になり、軍国青年として中国戦線に参加し、加害行為を行って、八路軍につかまり、中国の捕虜となって再生教育を受けたという人でした。子どもが殺人を何とも思わない軍鬼になる経過は、教育や体験を通じて、写真の表情からもわかるものでした。中国が捕虜に対して、人間再生のために払った努力もわかる内容でした。

戦時体制になる前に、それまで周到に準備される社会体制の強化は、生活の隅々に、寝ても覚めても勝つために、思想動員がされていくさまは、展示の中にも表れており、子どもの歌から、働き方まで、なるほどと思わされました。

戦争を阻止するためにも教育が本当に大事、というこの時に、大田区教育委員会が育鵬社の歴史・公民教科書を採択したのですから、歴史をさかさまに動かそうという、政府の意図が見え見えです。草の根保守が、役割を発揮したようで、区民に見えないところで育鵬社の教科書を採択するよう求める意見が組織されていたようでした。大日本帝国憲法が正しいとして、日本国憲法を否定し、この期に及んで原発は安全だという教科書を到底子どもに渡すことはできません。共産党区議団をはじめ、各区民団体が教育委員会に抗議しています。

ふたたび、日本を戦争する国にしない。これには、国民の過半数を超える人たちが声をあげる必要があります。真実を求め続けること、何が真実かを問い続けることは、戦争を止める確かな楔(くさび)になるのではないでしょうか。32回の戦争資料展は、また一段高い質の展示になった、と思います。

(8月10日から12日まで)

コンサート「未来(あした)があるさ」 国鉄のうたごえ

JR不採用事件へのご支援ありがとうございました!

JALの不当解雇許すな!東日本大震災被災者支援!の呼びかけのコンサートが、12日神奈川のかなっくホールで開かれました。どういう内容でおこなわれるのか知らないで、孫と一緒に参加して、こんなすごいものだったのか、と驚きました。分割民営化闘争から26年の歳月を戦いぬいて勝利和解を勝ち取ったこと、それでもJRに全員雇用とはならなかったが、旧国鉄職員と家族のうたごえは、長いたたかいをがんばりぬいた確信に満ちたものでした。運動がJAL闘争へつながっていく(JRからJALへ?)という、人間の強い意志を見たように思いました。狭い会場で、どちらかといえば、関係者が多かったようなコンサートで、もったいなかったな、もっと多くの人たちに聞いてもらったらよかったのに、と応援団の一人として残念に思いました。孫は学校の先生に会って、びっくりした、と言っていました。

ところで、歌う方々はお召替えに忙しく、見ている方が「あっちの方が忙しいみたいね」ということになりました。

 

15日は、区議会全員が実行委員会の「平和祈念コンサート」が開かれました。会場に来られた方が1165人で、仙台フィルの演奏は、聴衆の感動を呼んで、「久々の生オケに、感動した」という声もあり、よかったです!という声を出口で何人にもうかがい、いい顔で皆さんが出てこられたので、嬉しくなりました。

15日夜は、六郷9条の会で、チラシをまき署名行動を行いました。500枚のチラシはほとんど撒き、署名は17筆集まりました。私は、「原発と原爆は同じものです。しかも、よく似ています。それは、国民に真実が知らされないことで、あの戦争中に、原爆を投下する目的で米軍機が来たことを、政府は事前に掴んでいたのに知らせなかった。原発は安全だと国民をあざむいて導入し、いまでも国民に真実を知らせないでいる」ことを話しました。

平和の祭典では、盆踊りや式典などと同時に「原爆と人間展」が、多摩川河川敷で開かれました。区議会議員になりたての頃、「あの河川敷でも写真展を」と要求したことを思い出しました。昨年から花火の会場で展示するようになったのだそうで、言っておくものだ、と思いました。地味な企画ですが、平和の祭典の意義が伝わるようで、静かに関心を呼んでいました。

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