私、骨を折りました


1月24日の朝、2月18日まで自宅に帰れないなどと夢にも思わないで、夜明け前の雪道に踏み出しました。サミット脇、南蒲幼稚園、小田急タクシー車庫、矢口消防署を通り、多摩川河川敷に出るいつものコースです。スロープをそろそろ降りて、平な道に出るところで、するっと滑り、左足に尋常でない痛みを感じ、見ると足がぶらりと動くのです!これはとんでもないことになった、と立ち上がり階段の下まで行き、柵につかまって、携帯電話で救急車を呼びました。早速、矢口消防署からか?救急隊がやってきて、「あー、転んだんですか?今日はこういう人が多いんでしょうね」と、階段をおんぶされて、搬送されました。3つの病院が対応できるとのことで、蓮沼駅近くの病院をお願いしました。骨折してから30分以内で病院に着き、当直の医師に「なんでこんな時に歩いた訳?」と言われ、診察の後、レントゲンを撮ってシーネを巻かれ、左足関節脱臼骨折ということになりました。7時過ぎには病棟に入りました。考えてみると、折れてしまったらしい、という時から手当てがされるまで大変短い時間で、どうすればいいのか、と悩む暇がなかったことは、大変幸運だったと思います。
27日に観血的整復固定術を受け(整復するのに痛くないかなどと聞き)、足の長さも違わないだろうということでした。点滴に明け暮れながら、リハビリも受けつつ、勝手に骨は折ったが、しかし都合もあると、装具ができたらその日にでも、と退院希望をお願いしてきました。松葉杖を使うことになるだろうと、練習しましたが、これがけっこう難しいのです。松葉杖で出勤するのか、と思ったら、暗い気分になりました。ところが、装具が出来上がったら、杖なしで歩けますよ、と実際歩けました。よかった、よかったと一安心でしたが、歩けるとなったら怖いのです。翌日知人にお願いして外出の付添をお願いしました。右足に相当の負荷がかかったものと見え、飛び上るほど痛かったのですが、筋肉を伸ばす・縮める動きについて、痛み信号と頭が認識するそうなのです。先生が、右足を思い切って曲げられたら飛び上るほど痛かったのですが、その後ハリ感がなくなり、痛みがなくなりました。自分で自分の体をだますのか、と認識しました。
2月18日、26日ぶりに自宅に帰りました。20日の地域・産業委員会には出席しました。歩いて区役所までは2千歩くらいで通えます。雨が降るときが課題です。靴と自宅用のかかとの高いサンダルを履くようにしたら、右足の疲れが随分違いました。装具で歩いていると、どうしたのですかと聞かれますが、以前骨折したことがあるとか、娘さんがこの度骨折して3月半ばまで休業の診断書が出ている、など伺いました。
まだ、経過中なのでいつまで装具が必要なのか、など今後の見通しはわかりませんが、今回の事件を通して、骨折しなければ絶対会わなかっただろうという人々に会うことができたことです。東矢口支部の皆さんには、しんぶん赤旗を届けていただきました。お見舞いにも多くの方に来ていただきました。ありがとうございます。元気に頑張りますので、今後もよろしくお願いします。(2月24日)

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