私、骨を折りました(3)


6月12日現在、階段の上り降りが今残っている障害ですが、一番の鬼門が、実は自宅なのです。20センチはあるだろうという階段高、最後まで残っていましたが、今日楽に降りることができました。足を伸ばす動作、正座をする動作などは考えてみると、しなくなった所作です。この運動をお風呂の中で重点に行いましたので、ようやく結果が出たようです。孫の運動会の時体育館で昼食をとりましたが、正座する、立ち上がるなど考えてする行動ではありませんが、どうしようかと手順を考えてしまいました。日常生活には、ほとんどしなくなっているのです。畳の生活をしなくてはいけないと思いました。
5月の中旬から、飛ぶ動作が楽になり、ラジオ体操が苦にならなくなりました。大股で急ぐのは問題ありませんが、次は走れるのが課題です。
朝起きた時に足の甲と足首を計るようになって、前日どれだけ歩いたかも関係するようだ、と思いました。ゆっくりと左足が細くなっていて、その単位は1ミリを行ったり来たりという程度のちいさな変化ですが、面白いものです。震災後の日常生活がいかに大事か、普通のことがどれだけ大事か、といわれていますが、歩ける、登れる、走れるなどありがたいことです。
ところで、歩いていて、足に障害のある人はほんとうに多いことに気づきます。腰痛や妊娠中の女性も障害者とする国があります。日本の障害者の定義は大変狭く、その狭い範囲で年金が支払われますから、なかなか困難です。大田区仲六郷にお住いのIさんは、15歳の時、1945年8月7日に愛知県豊川市の海軍工廠に見習いで働いて、B29の爆撃を受け、頭部と下肢に重傷を負いました。平成の時代になって、てんかん発作が起きて、この8月7日の受傷が原因ではないか、となりましたが、病院の診断書やレントゲンフィルム、本人の申し立てでは障害年金は認定されません。書類だけで判定するのは不十分です。せめて本人から事情を聴いてほしい、と思います。新しい証拠があれば、といいますが、本人が生きていて訴えているのですから、それこそが1番の証拠ではないでしょうか。

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