12月11日に、品川のきゅりあんで、東京母親大会が開かれました。今まで日本教育会館で開かれていましたが、久しぶりに隣の区で開かれるというので、各団体に呼びかけて、大田区からも多数参加されました。森住卓さんの講演は、被災直後の飯舘村を紹介していましたが、畜産農家の牛との別れや、処分する状況など辛い場面が出され、共感して涙をすすり上げる声が聞こえ、じんとしました。あの日強い南風に襲われた飯舘村は、離れているのに高濃度汚染地区となり、小さくても輝く自治体として、合併せず独自の地域づくりを進めていたのに、全員避難するということになりました。その避難までの3日間にどれだけ被曝したのか、本当に残念な状況です。(日本は唯一の被爆国なのに、放射能からどう身を守るか、ということは教育されずに来ました。命令も遅かったことや、被害をできるだけ小さく見せたかった東電と国の後手後手の対応で今も収束しないまま、放射能は出続けています。)森住さんの話は、写真集・ダウンウィンダース(風下の村)に詳しく載っています。
全体集会は、民商婦人部や土建主婦の会ががんばって、東京母親の顔ぶれも変わって、広がってきたと思いました。