貧困対策はどこへ向かうのか 長野で生活保護を考える(第9回生活保護問題議員研修会


基調報告の「生活保護の動向と生存権の保障」では、1億総貧困時代の状況で社会保障の後退がいよいよ深刻になってきている。貧困線が下降するもとで、貧困率が増加している。もっとも家計所得の多かったのは1997年でその当時中央値は297万円であった。現在は245万円であり、年間50万円も低い中、貧困層が増え、70歳から74歳で23.2%、75歳から79歳で25.4%、80歳以上で23.9%と、特に女性高齢者の生活困難が際立っている。20歳から24歳の男性は21.8%で、女性の方が19.5%と少し低いが、改めて驚く貧しさである。困っている人が困っている、助けてほしいと声をあげられない社会ではないだろうか。最近は、私が困るという訴えより、あの人は生活保護で贅沢をしているという訴えの方が多い。貧しさが社会を分断している。障碍者の貧困は4人に1人で健常者の倍で、貧困線より低い人が8割で、年収200万以下が98・1%。月額収入が42000円以上83000円未満が48.8%、そういう状況では当然親と同居54.5%となる。生活保護の利用者が11.4%と意外に低いのは、親の収入に頼っているのであろう。

大阪市生活保護ビッグデータでは、ひとり親の低賃金、最賃の低さ等雇用市場の問題が鮮明になったのではないか、という考察がされているが、貧困の子供化、貧困の女性化、貧困の高齢化が、保護期間の長期化の理由になっている。

その対策に出てきている地域共生社会というのも、眉唾物である。生活困窮者自立支援法は、結局生活保護を利用して、生活を立て直すという、安心にたどり着く道が見えにくくなっている。生活保護を受ける最も多い原因が、過労による病気、失業によるもので、容易に回復しないのが実態ではないか。保護基準が下がったために受けにくくなり、少し働けるようになったら、すぐに保護が外れるという綱渡りのような生活を強制するのは人権を損なう。

生活保護利用者にとったアンケートによれば、単身世帯で多いように見える食費3万以上4万未満と24人が答えているが、1食あたりにすると440円である。1日1食13人、2食36人、3食96人で、満足する食事ができているかははい35%、いいえ35%、わからない30%。入浴週に1回が31人、2回が51人、3回が38人である。支出を抑えるには、食費・光熱費を抑える。外出を控えるのである。町内会や老人クラブ、地域・学校行事に参加しているかには141人が全く参加しないと答えており、地域での交流は少ないが、理由がまた深刻で、体力的精神的に困難、世間の目が気になっていけない、町内会費も払っていないという。親戚との冠婚葬祭には99人が全く参加しない。経済的な理由で、それまでの経過の中で「孤立せざるを得ない」など、人間らしい生活には程遠い。老齢加算が削られたことや冬季加算の減額も相当こたえている。

治療中の病気や、昨日1日に食べた食事内容も聞かれている。通院している人へのアンケートであり、中断した人もあるのでは、と思われた。

生活保護を受けようと思ったきっかけは、圧倒的に病気で働けなくなったこと。高齢者世帯では、低年金で数年持ちこたえていたが、病気で支払い困難・貯蓄が底をついたなど、本当に切実である。生保を受けてよかったことは「死なずに済んだ、生きていける、病院にかかれる」というそれまでの過酷な生活と、悪かったことは「周りの視線が気になる、差別的言動をされた、福祉の監視の目が厳しい、見張られている、対人恐怖症になった」などで、生活保護行政(マスコミ含めて)のあり方がそのまま反映している。

福祉事務所の対応については、連絡・最低限の手続きのみ38人、指導のとおり対応しないと保護を打ち切るといわれた20人、相談しながら対応してくれる20人などあるが、未回答その他が55人もあることから、言いたくない対応があったのではないかと推測される。

生活保護利用者の実態は、思っていた以上に深刻である。これでは自立できない。入りにくく抜けられない生活保護の在り方は、減額で締め出すのではなく、最低賃金をあげて、保護費も人間らしく生きられるように、見直すことではないか。

人間らしく生きられる最低限度の生活を保障しない生活保護は、尊厳を簡単に踏みにじる社会であり、誰にとっても生きにくい世の中である。そして、戦争を容認する、待望するようになっていく。相模原の事件は、役に立たない人間は生きていく資格がないということを、社会が容認するようアピールしていると思う。戦争を絶対許さない社会を作るには、一人ひとりが、人間として当たり前に尊ばれて、生を全うすることができることを当然とすることである。

北朝鮮のミサイル発射が行われる時、かの国民はますます生活困難になっているのではないか、と朝駅頭で訴えながら、北朝鮮の挑発を理由に軍事費をどんどん増やす日本ではすでに国民の生活を削っているではないか、と思い至った。軍事費には湯水のように使う一方で、社会保障には財源を渋る国は、すでに戦争状態になっているのかもしれない。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク