2つの60年


 

2つの60年

 

西六郷2丁目町会と日中友好協会東京都連のつどいについて

 

①   10月20日に西六郷2丁目町会の創立60周年の祝賀レセプションが開かれ、金子議員も招待されて参加しました。創立以来の活動がいろいろ紹介されましたが、GHQによって町会活動が禁止されていた時期があったことを、初めて認識しました。「昭和26年(1951年)9月にサンフランシスコでの講和条約に調印したのちに、自主権が回復し、自治会の結成が認められ」た、と記念誌「あゆみ」にありますが、アメリカとの単独講和条約でした。国際社会というより、アメリカの意思が入り込み、憲法からは、国民の願いが離れた状況になっていました。自治会・町会の事業との関係があったとは知りませんでした。禁止したこと、再開したことにはまるで違う意思が働いているのでしょう。とはいえ、この60年の自治会・町会の変遷・発展は、戦前のいわゆる「隣組」とは明らかに違うものであり、民主主義の発展を見ることができます。区長をはじめ歴代の六郷特別出張所長、部課長も参加して盛大なレセプションでした。会員さんの踊りやピアノなどの多彩な芸能もあり、こんなにすごい地域なのだと改めて感じました。女性の方々に挨拶しましたら、「紅1点でいいけど、他にも女性がいるといいわね」と言われました。創立60周年記念誌あゆみは、3年かかって作られており、なかなか読みごたえがあります。

なかなか読みごたえがあります

②   日中友好協会東京都連は創立60年と、日中国交回復40年を盛大に、と映画会や、講演と合唱の夕べなどが計画されていましたが、尖閣問題で影響がいろいろあったようでした。ジェームス三木さんは、満州とはなんだったのか、というテーマで話されました。「63万人の日本軍兵士が行き、開拓団に200万人も五族協和・王道楽土を目指していたのに、満州国という戸籍はだれも取っていないのです。13年存在したはずの満州国は、結局国家ではなかったのです。中国から見ると、侵略以外の何ものでもなかったのです。引揚者と戦後いわれましたが、これは正しくない。あれは難民だったのです。言葉はごまかすためにいろいろ使われます。国民はそれを見抜かなくてはいけない」という話でした。

 

合唱の方は、「再生の大地合唱団」がこの60周年記念事業に合わせて作られた合唱曲で、奇跡の大地 撫順「前事不忘 後事之師」が発表されました。シベリアに抑留された日本兵900人余り、中国の撫順に連れてこられましたが、ここは中国人を弾圧した刑務所だったのです。「戦争犯罪人といわれたが、命令されてやったのだから、自分は犯罪人ではない」という日本兵。子どもを殺された看護婦さんが「この仕事はやめたい」というのを、「人間として扱うこと」を要求されて働いたこと。日本兵は、一切の強制がない中で、自分の罪を認めるようになりました。4年たって裁判が始まりましたが、自分のしたことを突きつけられると、もう生きていられない、私を死刑にしてください!と叫ぶ人が次々に出る状況でした。B、C級戦犯で死刑になった人が1人もいなくて、全員帰国が認められたのです。鬼が人間になったのでした。

 

昨年の大田区の平和資料展には、中国戦線に行った日本兵の写真が出てい ましたが、少年時代からの写真が変遷していくのがよくわかりました。鬼になった日本兵が人間にもどるまで、長い時間が必要でした。ぜひ、機会を見つけて、この合唱をお聞きください。

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