国民健康保険料についての緊急申し入れ


2013年2月14日
国民健康保険料が旧但し書き方式に変わったために、2年前から急激に上がることを避ける激変緩和措置が取られましたが、25年3月でこの期限が切れます。23区の共産党区議団が、15日に開かれる区長会に向けて、値上げにならないように、要請する申し入れを行い、大田区議団も申し入れを緊急に行ったものです。区議団の区民アンケートには、「保険料や医療費については、これ以上の値上げはしないでもらいたい」という意見が60%を超えており、この声に、区が答えてもらいたいことを強く要請しました。特に低所得者について、所得割が下がり、均等割が上がることで値上げになることは、回避すべきこと、国庫補助金の増額や東京都の補助金で、皆保険を保障するよう要請しました。

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安部龍太郎さんが区議会に来られました


小説「等伯」で直木賞を受賞した安部さんは、大田区在住です。京都にも事務所があり、東京と京都を行ったり来たりして、活動中です。私は、昨年の長谷川等伯展に孫の綾香と行ってきました。松林図がとくに有名で、それが主な目的で見に行ったような気がしますが、予想に反して仏画が大変多く、涅槃図などに気を取られました。安部さんに「なぜ等伯だったのですか」と聞きましたら、仏画師から絵師になりたかった等伯が51歳に松林図を描いたことに惹かれ、「なぜ描くことができたのかを知りたくて、等伯を書いたのです」.京都にいてわかることも多いそうです。多くの人つながりで、公開されない襖絵などを見る機会もあったそうです。古いものほど公開して劣化することは避けられません。「等伯を書くのであれば」と紹介されたのが、その寺は月に1回風通しをする日があるから、掃除をしてくれればいいからと、有名な襖絵を見ることができたそうです。小説などももしかしたら、そういう人つながりができたときに、成立するものかもしれません。それは偶然ではない必然かも、と思いました。最近聞いたCDに、1音1音を大切に曲が作られている、という評があり、なるほど、と思ったのですが、絵を描くときの一筆、文章を書くときの1字も、通じるものかもしれません。書くことはおろそかにできないものだ、と改めて感じたことです。日常生活は、受賞で相当変わったようです。待ってる時の気分はどうでしたか、と聞かれた安部さんは、「みなさんが選挙の開票を待つ気分ですよ」と答えられ、「あー、それは思い出したくないことだ」と大笑いしました。

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広域避難場所が変わります


(1月16日防災・安全対策特別委員会)
東京都から示された協議案によれば、新たな被害想定に伴う避難場所の廃止などについて、報告がありました。
多摩川河川敷・六郷橋を廃止し、地区割りを変更します。
① 蒲田電車区一帯に変更する(3自治会)六郷地区 西六郷1丁目町会、西六郷2丁目町会、西六郷高畑町会。
② 萩中公園一帯へ変更(19自治会)六郷地区 南六郷1丁目町会、南六郷2丁目町会、南六郷2丁目団地自治会、南六郷3丁目町会、東六郷1丁目町会、東六郷2丁目町会、東六郷3丁目町会、宮本町会、仲六郷1丁目町会、仲六郷2丁目町会、仲六郷3丁目町会、仲六郷4丁目町会
蒲田東地区 南蒲田2丁目町会、南蒲田3丁目町会、蒲田2丁目東町会、蒲田2丁目町会、蒲田3丁目町会、本蒲田1丁目町会、蒲田1丁目町会
③ 萩中公園・大師橋緑地について、大師橋緑地を廃止し、萩中公園一帯にする。
④ 蒲田地区への地区内残留地区の新設に伴う指定変更(蒲田西地区、蒲田東地区)
⑤ 洗足池公園一帯を避難場所として新設する
東京都の対応は、25年3月に見直し案を公表し、4月に正式決定します。
 

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最近の生活相談から 2013.1.15


「今までと収入など何も変わらないのに、医療費負担が1割から3割になりました」。これは、配偶者が70歳になったので、収入が合算されたために、3割になったものです。これでは全くたまりません。
「10月から年金が何も断りなく、3万円減ったのだが、なぜか」。年金機構に聞きに行ったところ、「住民税が、介護保険、後期高齢者医療保険料とともに年金から天引きされるようになったためです」「何か収入が増える要件がありましたか」。ありました。10月からの天引きは、あらかじめ通知はあったはずですが、確定申告後の変更が反映するのに、この時期になったようです。大田区はほかの3区とともに実施が遅れたようですが、それにしても、理不尽な話です。年金の3万円は大金です。
高齢者はお金を持っていると、政府は思っているのでしょうか。医療費の負担3割など、金の切れ目が命の切れ目という状況ではないでしょうか。高齢者の医療費は無料に!保険料は値下げを!声を大に訴えたいと思います。

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障害年金が給付されることになりました


1945年8月7日に愛知県の豊川海軍工廠で、見習い生として働いていた15歳のIさんは、B29の大編隊による空襲にあいました。この時、2千人を超える爆死者が出ましたが、8月6日、9日の原爆の間の豊川海軍工廠の惨害については、報道されませんでした。Iさんは、爆撃のショックで倒れ、気を失っていた時、爆撃の後の火災で倒れた材木の下敷きになり、火が迫って熱くなり、意識を取り戻しました。足が材木に挟まれて大腿に大けがをしていましたが、助け出され命拾いをしたのです。この時頭部にも受傷しましたが、9月になって当時の軍医が書いた証明書には頭部外傷が書かれていませんでした。Iさんは、戦後になって、リハビリを受けて、足の負傷は気がつかれない程度まで回復しました。ところが、1984年ごろにてんかん発作を起こしたのです。受診したM病院の医師に、「なにか頭部外傷の痕跡があるが、若い時にけがをしたのか」と聞かれ、空襲のことを思い出しました。当時は、軍人のみに恩給があり、軍属にはありませんでした。その後、軍属の恩給が創設されましたので、1996年に障害年金の申請をしました。豊川市には八七会という豊川海軍工廠爆撃を祈念する会があり、Iさんは、その会で「年金がもらえるはずだ」と聞いたそうです。米軍が空爆直後の豊川海軍工廠を撮影した写真を公表し、中日新聞には1984年ころ、掲載されています。
1996年に障害年金を申請して、合計3回の申請が却下されました。大田区が窓口になり、東京都が厚労省に申請をする仕組みで、審査にも相当時間がかかるのです。申請後の結果を受け、不服申請をしたりすると、2年くらいはすぐに立ってしまいます。
Iさんは、3回目の却下通知を受け、もう1度申請しようとしていた時、たまたま経営する食堂に、かち都議会議員と金子区議会議員が立ち寄りました。「なにかご相談があったら」とかち都議が置いてきた名刺に、3か月後に電話をしてこられました。これが、今回の相談の始まりで、2010年11月のことです。12月に大田区福祉部援護係職員の援助を受け、4回目の書類を提出しました。2011年5月に却下通知が届きました。2012年5月に、弁護士さんと相談し、審査書類の開示請求を行い、異議申し立ても行いました。2012年7月に、「書類だけでなく、本人から意見聴取をして、話を聞いてもらいたい」と、本人と、東京都の福祉保健局の担当者から要請してもらいました。8月に本人宛に、1時間の事情聴取を行うと厚労省から通知がありました。2012年8月6日に、厚労省の1階会議室に、Iさん、娘さん、小林弁護士、金子区議が、厚労省の担当者の女性2人に聞いてもらうことになりました。これは、Iさんが初めて、国家に対して、書類でなく、自分の被害を直接申し立てる機会になりました。その後、12月に、追加の書類請求を厚労省から求められ、2011年の決定を破棄し、障害年金を給付するという、今回の決定になったものです。
金子議員の話
 今回給付されるようになったことは、Iさんがあきらめないで訴え続けたからです。私も、M病院の脳外科の医師に話を聞いたり、豊川市の行政や議員団に問い合わせたりして、戦争中の事件を証拠立てることがいかに大変かを痛感しました。Iさんの同級生なども高齢ですから、証人になると言ってくれた方が亡くなるなど、年々不利になるのです。小池晃前議員、田村智子参院議員の協力も得て、給付にこぎつけたことは、本当に良かったです。しかし、戦後の年月や、リハビリの苦痛など考えると、Iさんの苦労に報いるのには十分ではありません。東京大空襲など一般人への補償も行うこともまだ残された戦後処理です。なにより、再び戦争をしないことを政府が憲法9条を守ることで、国民に約束することが必要です。

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東京都に要請行動


10月25日に、介護保険、国民健康保険、後期高齢者医療保険について、東京都に支援を求める要請行動を行い、山本純平4区予定候補と参加しました。都議会議員・予定候補、衆院選・参院選予定候補、区市町村議の総勢60人ほどです。内容は、介護保険の負担軽減と介護サービスの拡充のための支援を求める申し入れ、国民健康保険への財政支援を求める申し入れ、後期高齢者の医療負担軽減を求める申し入れです。
 金子議員は、「介護保険では、大田区の特養入所の2次評価が終わって、3月分と合わせ、特養2つ分で少々待機者が減ったとはいうものの、900人もいるのです。やはり、特養を作らなければ、待機者は減りません。しかし何と言っても、土地がなければ、物事は始まりません。特に、用地費補助・都有地を提供することです。高齢者にとって大田区内の病院が休業・停止になることが続き、一大事の事態です。医療介護が一体的に、この12年でどちらも悪くなっていることを認識してもらいたい」ことを発言しました。高齢担当部長は、「介護療養型からの転換を支援している」と答弁しましたが、制度を変えて経営が成り立たないようにすることは、高齢者や病院経営にとって望ましいとは、いえません。なにより、人間の命が大事ではないでしょうか。
 予定候補者の人たちが、国保は社会保障である。相互扶助に自治体や東京都は入っていないのか、と質問したら、そんなことはありませんと課長が答えましたけれども、「それでよいのか」「他に方法はないのか」という問いかけが重要だと思いました。

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2つの60年


 

2つの60年

 

西六郷2丁目町会と日中友好協会東京都連のつどいについて

 

①   10月20日に西六郷2丁目町会の創立60周年の祝賀レセプションが開かれ、金子議員も招待されて参加しました。創立以来の活動がいろいろ紹介されましたが、GHQによって町会活動が禁止されていた時期があったことを、初めて認識しました。「昭和26年(1951年)9月にサンフランシスコでの講和条約に調印したのちに、自主権が回復し、自治会の結成が認められ」た、と記念誌「あゆみ」にありますが、アメリカとの単独講和条約でした。国際社会というより、アメリカの意思が入り込み、憲法からは、国民の願いが離れた状況になっていました。自治会・町会の事業との関係があったとは知りませんでした。禁止したこと、再開したことにはまるで違う意思が働いているのでしょう。とはいえ、この60年の自治会・町会の変遷・発展は、戦前のいわゆる「隣組」とは明らかに違うものであり、民主主義の発展を見ることができます。区長をはじめ歴代の六郷特別出張所長、部課長も参加して盛大なレセプションでした。会員さんの踊りやピアノなどの多彩な芸能もあり、こんなにすごい地域なのだと改めて感じました。女性の方々に挨拶しましたら、「紅1点でいいけど、他にも女性がいるといいわね」と言われました。創立60周年記念誌あゆみは、3年かかって作られており、なかなか読みごたえがあります。

なかなか読みごたえがあります

②   日中友好協会東京都連は創立60年と、日中国交回復40年を盛大に、と映画会や、講演と合唱の夕べなどが計画されていましたが、尖閣問題で影響がいろいろあったようでした。ジェームス三木さんは、満州とはなんだったのか、というテーマで話されました。「63万人の日本軍兵士が行き、開拓団に200万人も五族協和・王道楽土を目指していたのに、満州国という戸籍はだれも取っていないのです。13年存在したはずの満州国は、結局国家ではなかったのです。中国から見ると、侵略以外の何ものでもなかったのです。引揚者と戦後いわれましたが、これは正しくない。あれは難民だったのです。言葉はごまかすためにいろいろ使われます。国民はそれを見抜かなくてはいけない」という話でした。

 

合唱の方は、「再生の大地合唱団」がこの60周年記念事業に合わせて作られた合唱曲で、奇跡の大地 撫順「前事不忘 後事之師」が発表されました。シベリアに抑留された日本兵900人余り、中国の撫順に連れてこられましたが、ここは中国人を弾圧した刑務所だったのです。「戦争犯罪人といわれたが、命令されてやったのだから、自分は犯罪人ではない」という日本兵。子どもを殺された看護婦さんが「この仕事はやめたい」というのを、「人間として扱うこと」を要求されて働いたこと。日本兵は、一切の強制がない中で、自分の罪を認めるようになりました。4年たって裁判が始まりましたが、自分のしたことを突きつけられると、もう生きていられない、私を死刑にしてください!と叫ぶ人が次々に出る状況でした。B、C級戦犯で死刑になった人が1人もいなくて、全員帰国が認められたのです。鬼が人間になったのでした。

 

昨年の大田区の平和資料展には、中国戦線に行った日本兵の写真が出てい ましたが、少年時代からの写真が変遷していくのがよくわかりました。鬼になった日本兵が人間にもどるまで、長い時間が必要でした。ぜひ、機会を見つけて、この合唱をお聞きください。

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金子悦子の款別(かんべつ)質疑


DV被害問題について、国民健康保険の限度額認定証について[/caption]
私は、①DV被害者に、DV被害の証明書を早急に発行すること。②中学生からデートDVの事前学習を行うことを求めました。DV被害そのものは、被害者がそうと自覚していないことや、他の相談で就職する、離婚したいなどの話の中で、夫に暴力を振るわれている、言葉の暴力を受けているなどが出されて、初めてわかることも多いということです。母子家庭の女性に、そうなった原因は何か、聞いてDVであることを、複数の人から聞きました。DV被害証明書は、東京都が今まで出していたこともあって、区段階では出せるようになったが、今でも出せない証明書があるということです。必要な保護を受けるには、証明書が必須ですから、人権上も早めに出せるようにすべきです。中学生に、デートDVの学習にエセナおおたの講師にお願いして、やってはどうか、という質問には教育委員会の方で、暴力は人権問題であるから、他の生き方の講座とも合わせて行う、という答弁でした。
生活福祉課では、母子相談員が少ないことも、相談体制を大変にしています。DV相談に乗る母子相談員の増員を行い、スキルアップのために研修を充実することも合わせて求めました。
また、国民健康保険特別会計では、被保険者が全員高額医療の限度額申請ができるのに、認定証の発行数が1割に満たない状況を改善するために、医療機関で受け付けること、保険料通知時に認定証を送付してはどうか、と質問しました。国保課では、あくまで申請による事と、納付状況の確認など、本庁舎でなければできないので、という答弁でしたが、被保険者の利用になるべく便宜を図ること、せめて高くなった保険料のお知らせをするときに、認定証を送るとかできないのかと聞きました。全員が認定証を受け取れるわけだから、わざわざ申請しなさいというのも不親切です。周知徹底するよう求めました。

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未来につたえる大田の平和


美しい歌声でした


10月22日に、大田九条の会が7周年の記念講演とうたのつどいを開き、85人が参加しました。九条の会事務局長の高田健さんが、「憲法最前線~改憲をめぐる新しい動きとその特徴」というテーマで講演されました。高田さんは、『「あたらしい憲法のはなし」で、「よその国と争いごとがおこった時、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです」といっているのに、野田総理が「尖閣問題で、いかなる犠牲を払っても」と発言した。戦争をするということか、とびっくりしたが、大方のマスメディアはこのことを問題にしなかった』『総選挙を前にして、民主党、自民党、橋下新党が事実上の改憲大連立状況になっている』ことを直視すること、『脱原発社会の実現をめざす広範なわかもの、女性、中高年世代の運動は、民主主義の具現化であり、これと融合したあらたな憲法運動の構築が求められている』というお話でした。2部では、歌手の慮佳世さんは、川崎にお住いの在日で、「放射能カウンターを実は持ち歩いているのです。こういう状況なのに尖閣の問題では、どうなっちゃうのか、とほんとうに心配しました」ということです。うたごえはなかなか美しいもので、「ほめて、ほめて、ほめちぎる」という愉快な歌もありました。懇談では、慰霊碑や戦跡を調べて紹介するなどの活動が紹介されました。この7周年記念に、「未来につたえる大田の平和」大田平和ガイドブックが発行されました。小さい冊子ながら、大田区の戦争中のことや、15年戦争のあしあとなど読みごたえがあり、500円で、よい資料になります。「ぜひお読みください」と訴えがありました。地域の九条の会、大田九条の会にお申し込みください。

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阿波踊り、大団円!


新しい体育館のアリーナいっぱいの人々

会場いっぱいの阿波踊り

10月21日、新しい大田体育館で、32回目のしょうがいしゃの日のつどいが開かれました。金子議員は、都立大井中央公園の消防団の合同点検に参加した後駆けつけました。金子三勇士(みゆじ)さんのピアノコンサートを聞いてから、メインアリーナに入ると、ちょうど阿波踊りが始まるところでした。いつもは通りで見る阿波踊りを、鳴り物の太鼓や、笛、鉦などの楽器を紹介され、右手・右足、左手・左足と出すのですよ、と説明の後、「どうぞ、一緒に踊りましょう!」と呼びかけられたら、あっという間にアリーナが踊る人でいっぱいになり、浴衣の踊り手を探すのが、難しいほどになりました。全く、いままで見たことがない壮観な光景でした。
金子議員の話
椅子席で、まるで踊らぬ阿呆だと思いつつ、こういう場所があれば、おどりたい、と自然に動き出すしょうがいしゃの人たちに、その居場所を作る仕事にどれだけ専念したかな、と指摘されたような気がしました。

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